ティーガーIはより軽装甲のドイツ戦車に対して戦果を上げていたソ連の重戦車KV-1や中戦車T-34に対する対抗策として登場したとも言える。
ティーガーIが東部戦線に初登場したのは1942年12月だった。翌年1月に捕獲されたティーガーIはソ連に対抗策をとらせることとなった。ティーガーIが現れるまで、ソ連はもっぱら戦車の生産数量を重視し、質的な改良は量産を遅らせるため見送られてきた。
ソ連の対抗策はいくつかの形をとった。152mm砲を装備した自走砲の早急な開発が命じられた。SU-152自走砲は25日という記録的な早さで設計を完了し実地試験に入った。ソ連時代の記録では、同車を装備した一個連隊が定数不足のままクルスクに5月に送られ、クルスクの戦いで12輌のティーガーIと7輌のエレファント駆逐戦車を破壊したとされた(しかしソ連崩壊後判明したデータにより、事実とは異なっていたことが判明している。そもそも、この戦いで様々な理由で全損となったティーガーは10ないし11輌であった)。また、新型重戦車が計画され、1943年末に85mm砲装備のIS-85(後にIS-1)、1944年始めに122mm砲装備のIS-122(後にIS-2)が就役した。そしてその車台を使用したISU-152とISU-122自走砲が完成した。T-34は1944年には新たに85mm主砲を装備した3人乗り砲塔を与えられた。終戦間際には、新たな牽引式対戦車砲となるBS-3 100mm野砲が供給された。これらの新兵器は全て既存の車輌や砲の拡大改良型であったため、すぐに大量生産に入ることができた。
ソ連の戦車の最大の脅威はドイツ重戦車と比較してのその圧倒的な生産量であった。わずかに1,350輌のティーガーIと500輌足らずのティーガーIIが生産されたに過ぎない一方、58,000輌のT-34、4,600輌のKV-1、3,500輌のIS-2が生産され、合わせて66,000輌のソ連戦車が1,850輌のティーガーI/ティーガーIIと対していた。約6,000輌が生産されたパンターと各型合計約8,200輌が生産されたIV号戦車を数に入れてもドイツ戦車の総数は約15,000輌にしかならないため、米英戦車を計算に入れなくてもソ連戦車の総数がドイツ戦車の総数の4倍以上という圧倒的な数的優位にあったことは確かである。
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