« 2009年03月 | メイン | 2009年06月 »

2009年04月 アーカイブ

2009年04月07日

ザ・ゴールデン・カップス

ザ・ゴールデン・カップス(The Golden Cups)は1966年12月、神奈川県横浜市でデイヴ平尾を中心に結成されたグループ・サウンズのバンドである。

バンド名は、結成当時このバンドが演奏していた本牧のダンスホール「ゴールデン・カップ」から命名したと言われる。結成以降、1971年の解散に至るまで『長い髪の少女』『愛する君に』などの楽曲をヒットさせたがステージの上においてはこれらの曲を演奏する事を好まず、もっぱら当時のアメリカ・イギリスで流行していたロック・ポピュラーの曲を演奏した。また一貫して演奏力にも定評があり、主としてハーフが結成したというルックス(実際にはデイヴ・マモル・ミッキーらは生粋の日本人、またエディは華人だった)と相まって演奏力とは無縁な歌謡GSや企画もののアイドル系GSの多かった中、異色の本格派GSとしてディープなファンも多かった。

2004年、記録映画を記念して再結成、サポートメンバー3名(ドラムス:樋口晶之、ベース:スティーブ・フォックス、ギター:中村裕介)を加えてNHKテレビの歌番組への出演、ライヴハウスでの演奏などを行ったこの時のメンバーは、右にあるインフォボックスの上の5人)。現在も時々集まってライブ活動を行う。

メンバー [編集]
結成時のメンバーは以下のとおり。脱退後、解散後の目立った活動は()内に。

デイヴ平尾(1944年11月17日 - 2008年11月10日)
本名:平尾時宗。リーダー、ボーカル。2008年11月に食道癌のため死去。
エディ藩(1947年6月22日 - )
本名:潘廣源(人名事典では潘の字で記載)。リードギター、ボーカル。
ルイズルイス加部(1948年11月5日 - )
本名:加部正義。ベースギター(後に、チャーなどとピンククラウド結成)。
ケネス伊東(1946年1月1日 - 1997年)
アメリカ合衆国・ハワイ州オアフ島出身の日系アメリカ人二世。本名:ケネス・イトウ(Kenneth Ito)。サイドギター、ボーカル。
マモル・マヌー(1949年6月3日 - )
本名:三枝守。ドラムスだったが、再結成後はボーカルに専念。
その後、以下のメンバーが途中時期に在籍した。

ミッキー吉野(1951年12月13日 - )
本名:吉野光義。キーボード(後にゴダイゴのリーダーとして、大成功)。
林恵文(1951年5月11日 - )
ベースギター。
アイ高野(1951年1月12日 - 2006年4月1日)
本名:高野元成。ドラムス(カップス以前は「ザ・カーナビーツ」、以後は竹田和夫率いる「クリエイション」のボーカルとして、それぞれヒットあり)。
柳ジョージ(1948年1月30日 - )
本名:柳譲治。ベースギター、ボーカル(ソロでヒットを出し成功)。
ジョン山崎(1950年7月29日 -)
本名不詳。キーボード。なぜか彼だけ公式サイトからプロフィールが削除されている。現在ホノルルで牧師として活動中(アロハ・バイブル・チャーチ)。
蜂谷吉泰

沿革 [編集]
ザ・ゴールデン・カップスは、デビュー曲『いとしのジザベル』発表前には横浜・本牧の「ゴールデン・カップ」の専属バンド「平尾時宗とグループ・アンド・アイ」として活動していた。

1965年頃、既に横浜ではいくつものアマチュアバンドが結成されておりダンスパーティーやイベントなどに活動の場を求めていた。1945年生まれの平尾もそうしたアマチュアのひとりで、高校卒業後は実家のクリーニング店で働きながら「スフィンクス」というバンドでヴォーカルを担当していた。ともにアマチュアながら「スフィンクス」と潘がリードギターを担当していた「ファナティックス」は当時の横浜を代表するバンドであり東京からも本物の音楽関係者が足を運んで聞いていた。

1966年7月、平尾は独りアメリカ旅行に出発。ときにビートルズ東京公演の数日後の事である。表向きは「自分の将来を考えたい」と殊勝な事を言って出発した平尾だったが実際には昼間はレコード店巡り、夜はライブを見に行くという毎日だったようである。またこの期間中に、アメリカ国内で潘と再会した。中華街の名店「鴻昌」のせがれという裕福な家庭に育った藩は中学時代にギターを覚え、ついには日本最高のギタリストとよばれるまでになる。

同年11月、平尾は帰国。高校時代の友人に誘われ4月にオープンした「ゴールデン・カップ」を訪れたのだが、その際オーナーの上西四郎から「この店の専属バンドを探している」と誘われたのである。

こうしてスフィンクスはゴールデン・カップのステージに立ったのだが、既に本場のライブを聞いて帰ってきた平尾の耳にはバックの演奏が物足りなく感じた事も事実だった。そこで平尾は「人前に立つなら腕利きのメンバーを集めよう」と考えアメリカで出会った潘を誘い、藩は加部、伊東らを誘った。ドラムスには当初、加部らと面識のあったジョニー野村を据えることが予定されていたが野村は既にプロモーターを志して大学に進学していたため(ジョニー野村はその後、ゴダイゴのマネージャとなる)、平尾の渡米中にスフィンクスのボーカルを担当していた三枝がドラムスを担当する事になった。

こうしてグループ・アンド・アイとしての活動がスタートした。

「ゴールデン・カップ」には当時の暴走族である「ナポレオン党」のメンバーも客として来店していたが、ナポレオン党を取材していたTBSの担当者の仲介でグループ・アンド・アイはテレビ番組『ヤング720』に出演する事になる。これにより彼らはその名を知られる存在となり、プロデビューの話も舞い込むようになった。

彼らを全員ハーフという触れ込みで売り出す事を考えたのは、当時の東芝音楽工業(現:EMIミュージック・ジャパン)の担当者だとされる。

1968年7月8日、伊東がビザの関係で離れ、吉野が加入。10月21日、伊東が復帰。

1969年4月25日、藩と伊東がエディ藩グループ結成のため脱退、林が加入し加部がギターに転向。また12月31日付けで加部と林も脱退し加入前の山崎とルームを結成、マモルも脱退しソロ歌手となる。

1970年1月1日付けでエディ藩グループと合併、藩と伊東が復帰、同グループにいた高野も加入。しかし伊東は8月31日に引退、翌日に柳が加入。

1971年7月3日、山崎が加入。10月30日、吉野がゴダイゴの前身となるサンライズ結成のため脱退。12月、ゴールデン・カップスは最後の仕事として沖縄のディスコで演奏したが最終日の終演直前、会場内で火災が発生。柳のベース以外はすべて、そのときに焼失したといわれる。

1972年1月2日をもって正式に解散。

1997年、伊東がハワイで死去。

2006年、アイ高野が死去。

2008年、リーダーのデイヴ平尾が死去。

ディスコグラフィー [編集]

シングル [編集]
いとしのジザベル(1967年6月15日)
銀色のグラス(1967年11月15日)
長い髪の少女(1968年4月1日)
愛する君に/クールな恋(1968年9月1日)
過ぎ去りし恋(1968年12月5日)
本牧ブルース(1969年2月1日)
ルシール(1969年5月1日)
蝶は飛ばない(1969年7月10日)
にがい涙(1970年5月5日)
人生は気まぐれ(1971年11月5日)

アルバム [編集]
THE GOLDEN CUPS ALBUM(1968年3月10日)
THE GOLDEN CUPS ALBUM VOL.2(1968年9月10日)
ブルース・メッセージ(1969年3月10日)
スーパー・ライヴ・セッション(1969年8月1日)
ザ・ゴールデン・カップス・リサイタル(1969年10月10日)
ザ・フィフス・ジェネレーション(1971年1月10日)
ライヴ!! ザ・ゴールデン・カップス(1971年10月5日)

フラッド キャロ メッカ 輝きの季節 テアーゼ 上位シーン 枕千鳥 フェラテ マドラス ロマン カーボン ランク ソーホー タンプ パーティー タック ルトップ ハバナ スプレッ エンド オキサ スフマート らくだいろ ブタン カゲル キタス スタジャン ランチ シーネ ネッキ アビリテ オルガス ばなな みなせ クローバー キジムシ ガマ対策 モンテ ローコード コック ツァボラ メーター ごぼう ピギー ランナー エルシー こもづの チャド かてい ブルジュド

2009年04月24日

海洋表層部の生物

この事変が起こる直接の要因には、海洋表層部の生物の活発化、海水循環の停滞、陸地からの有機物流入量の増加、などが考えられている。

タロット・料理関連ライフスタイルポータル情報
生活習慣病・治療関連ようこそ医療ネット
おもちゃ・不用品関連限定通販ガイド
コバシヨウまなび教育全国情報ガイド
ソネット お出かけCOM
育毛・サプリメント関連コスメ販売COM
アルバイト情報・旅行代理店関連マネー生活ガイド
引越し・リラクゼーション関連ライフスタイルストア-情報
審美歯科・インポテンツ関連ようこそ医療全国情報ガイド
ファッション・自動車関連セレクトショッピングガイド

たとえば白亜紀中期には地球全体の気温が現代より 6-14℃も高い時期があり、中でも極地の気温はかなり高くなったと推定されているが、その当時は地殻変動や火山活動が活発であり、地殻からの炭素噴出や生物の働きなどにより炭素循環が撹乱されて大気中の二酸化炭素 (CO2) 濃度が高くなったことにより温室効果が引き起こされた(この他、メタンハイドレートの大量融解が起こり大量のメタンが大気中に放出されたことをきっかけに挙げる説もある)。

すると海水温が上昇するとともに極地ほど温暖化が進みやすく、氷が解けることから極地での海水の沈み込みが止まり、もって海流が停止する。海水の循環が停滞すると海底付近への酸素供給が絶たれ、酸素を必要とする海底生物が死滅し、海底に沈んだ生物の死骸は分解されないまま堆積・化石化することとなる。

また、海水温の上昇により海水の蒸発量が増え、低気圧が発達して大量の雨を陸上にもたらす。すると陸上の栄養素が大量に海に流され、海水の富栄養化が進み、高濃度の二酸化炭素とあわせて植物の光合成効率が高まることから全海洋規模で植物プランクトンが大発生する。

しかし、この現象が起こると、大量発生した植物が大気中の二酸化炭素を吸収し、その炭素を含む死骸が分解されないまま地中深くへ閉じ込められてゆくことから、この現象が続くと大気中の二酸化炭素濃度は次第に低下し、今度は地球寒冷化が起こって極地に氷が戻り、海流が復活することで海底にも生物が生息できるようになる。つまりこの状態が恒常的に続くことはなく、次第に終息する。

黒色頁岩の堆積期間や、生物相の変化の期間などから、この現象の開始から終息までの期間は概ね数万年から百万年ほどであったと推定されている。また、研究者によってはこの間にも数万年単位の短期の事変が繰り返されたと指摘する向きもある。

About 2009年04月

2009年04月にブログ「時の扉」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年03月です。

次のアーカイブは2009年06月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35