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キリスト教において、聖人という語は

キリスト教において、聖人という語は、神によって聖とされた信徒を指す。その対象には歴史的に若干の変動があり、また教派によって扱いが異なる。新約聖書に出るギリシア語、ホ・ハギオス(ギリシア語: ο Άγιος, 「聖なる人」の意:現代ギリシャ語ではオ・アギオス)またその複数形ホイ・ハギオイ(ギリシア語: οι Άγιοι, 現代ギリシャ語ではイ・アギイ)に由来する。新約聖書では、ホ・ハギオスという言葉が、かれらの教会の歴史にとっての重要さにかかわらず、生者と死者の両方にあてはめられている。使徒パウロの手紙の多くは「すべての聖なるものたちに」、あるいは「年長者とともに」と宛てられている。たとえばエフェソの信徒への手紙は「エフェソの聖なる人々へ」で始まっている。
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聖人への崇敬は正教会、東方諸教会、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などで行われる。プロテスタントには聖人に対する崇敬を行わない派が多い。

正教会・カトリック教会・東方諸教会など、聖書と同様に聖伝(古代からの伝承)を現代に至るまで尊重する諸教派において、聖人への崇敬は伝統によってキリスト教信仰の一部をなしてきた。このような伝統にしたがって、聖人は神のそばでとりなしを行うことで人々の祈りを聞き入れ、神と人間の媒介としての役割を担うとみなされてきた。

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2009年09月27日 13:54に投稿されたエントリーのページです。

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